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沖縄からの発信 No.8
9条世界会議と沖縄9条連 「日米安保」「沖縄」を忘れないで! 
ダグラス ラミス (沖縄9条連代表・9条連代表)
ピースボートと日本国際法律家協会が企画した「9条世界会議」の実行委員会から、呼びかけ人にならないかという依頼が来た時、私は以下のように返事をした。
「日米安保」に触れないタブーを破ろう
FAXの呼びかけ文を興味ぶかく読みました。呼びかけ人をやらせていただきます。けれども、その呼びかけ文に対して、疑問もあります。
その文章には、美しい「平和な日本」が描かれています。その文章だけを読みますと、その「平和な日本」には、「沖縄」があるということが想像できませんね。「日米安保条約」があるということも想像できません。
そのことは、最近の護憲運動の特徴でしょう。「安保」という言葉自体がタブーになりました。なぜかというと、第9条を支持している人々の中に、安保も支持している(あるいは、特に反対していない)人もいるからです。
戦争が嫌いなら、自分よりも違う人に行ってもらいたいという気持ちはよくわかります。でも、その立場は「武力によらない平和」という立場ではありません。「反戦・平和主義」の立場でもないのです。そして、Festivalや世界大会を開くぐらいのすばらしい立場でもないでしょうね。
「日米安保になるべく触れない」というタブーは、30年前の日本の運動の中では考えられないことでした。この9条世界会議は、とても大きな影響力があるはずですので、ぜひこのきっかけで、そのタブーを破ってください。
「安保」に触れないで、「平和な日本」を賛美しますと、出発点がうそになりますので、現実ばなれの運動になります。ぜひそうならないように宜しくお願いします。
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その後沖縄9条連の事務局会議に出席し、私は9条世界会議から送ってきた(安保と米軍基地のことがほとんど触れられていない)資料と、私の書いた上記の手紙を見せた。事務局の皆さんは、それを見て議論をした結果、私が東京へ行き、呼びかけ人会議に参加するべきであると言った。そこで、東京での呼びかけ人会議に参加し、上記の手紙のような話をしたら、2種類の反応があった。
一つは、「私たちは、もちろん安保と米軍基地の問題の重要性がわかっています」というもの。もう一つは、「そのような暗い話をすると、若者は来ないのではないか」(グリーンピース事務局長・星川淳さん)というもの。結局、はっきりした結論は出ず、私の参加に効果があったかどうか、わからないままで沖縄に帰ってきた。
そして、9条世界会議の本会議。自主企画において「基地」という言葉は増えていたが、会議自体のプログラムは変わっていなかった。
日本を支えているのは9条ではなく安保
ところが「アジアの中の9条」というシンポジウムで、高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)が日米安保体制を分析、批判して言った。「今の日本社会を支えているのは、9条ではなくて安保です」と。
これはこの国際会議全体に伝えたい名言だと私は思い、次の「環境と平和」のシンポジウムでフロアから発言し、それを引用した。
司会者の辻信一さん(明治学院大学教授、ナマケモノ倶楽部世話人)は、「そうですね。私たちは現状維持の9条運動じゃないよね」と言い、パネリストの星川淳さんに意見を求めた。
星川さんは「爆弾発言をします。1960年に大きな反安保闘争があった。68、70年の全共闘運動の中、反安保は大きかった。あれから、安保闘争はだんだん消えた。提案します。2008年をまた反安保の年にしよう」。
最後の「まとめの総会」で、私はまたフロアから発言し、高里さんと星川さんの発言両方を引用し、国際会議の宣言文に「安保破棄」の文を入れるように提案した(手続き上、手遅れということで、実現しなかった)。
私の発言後、フロアから9条にノーベル平和賞をあげるように運動しよう、という提案があった。
池田香代子さん(作家、翻訳家)は閉会の言葉の中で、それに触れた。
「9条にノーベル平和賞なんて、とんでもない話です。私は安保のこと、沖縄のことを考えると、胸が苦しくなるだけです」
9条国際会議は「美しい平和な日本」の神話で終わらなかった。
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