9条連ニュース/133号 巻頭言
佐々木 愛 母が脳内出血で倒れて以来、お正月の三が日は、母の枕元で過ごすことになりました。 普段母を放り出して、全国で芝居の旅をしている私の、せめてもの罪ほろぼし・・・・と思ったからです。 今年は、その枕元で一冊の本を読みました。『沈まぬ太陽』(信濃毎日新聞社刊・中繁彦著)、長野県泰阜(やすおか)村在住の中島多鶴(たづる)さんの苦難の半生をドキュメントにしたものです。 ☆ ―お母さん、中島保健婦さん覚えてる? 病気のせいで記憶がおぼろになってしまった母に、私はその本を見せ、おそるおそる、たずねてみました。 30年前、中国残留婦人を描いた“三人の花嫁”の取材で出逢ったこの中島多鶴さんの生き方に、母は強い共感をもっていたからでした。 ―覚えてる・・・・ 一瞬記憶の深層にふれた表情の後のその一言は、私にとって衝撃でした。満州が、戦争が、いかに母の心と身体に深く刻み込まれた事であったか、そして中島さんの存在が母にとって強烈であったかを再確認させられる思いでした。 泰阜村出身の中島さんは、村をあげての開拓団の一員として子供の頃に渡満(とまん)、さんざん、ご苦労の後、四人の妹さんを亡くし、帰国された方でした。 一方、私の母は、旧満州で敗戦を迎え、一年間の抑留生活を体験しました。 共に、昭和21年に帰国した二人に共通したことは、沢山の犠牲の上に、自分達だけが先に帰国のチャンスを得て、平和に生活している事への罪の意識でした。中島さんは仕事のかたわら、残留婦人の調査、帰国運動に奔走し、現在は、日中友好のために両国を往復、活発に講演活動もされています。 ☆ 15歳で女優の道を選んだ母は、帰国後、強い意志を持って反戦を表明し、自分の劇団の芝居で主張するようになっていきました。友人、知人が命を救われたから・・・と世話になった中国人を訪ね歩き、返礼行脚(あんぎゃ)をする中島さんのお姿と、被爆者や残留婦人に心を寄せ、細やかなおつき合いを重ねた母の姿に、私はただただ脱帽し、本を読み進みながら何度も涙をこらえ、鼻をつまらせました。何だか暗い新年・・・と思っていた私の心に、何故かすがすがしい風が吹き始め、お腹に力が入ってくるのが感じられるようでした。 良いお正月だった、と思っています。 (ささきあい 東京下町9条連代表)
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「新聞報道に見る 沖縄の 米軍基地と住民」 「戦争のないもうひとつの 世界は可能か」 平和のために −伊藤成彦講演から 「平和を育てよう」 −藤井治夫講演から 「第九条が輝く21世紀を」
「憲法9条ー護憲か廃憲か」 平和のために軍備と戦争の 構造を学ぶ 「世界を見つめる」
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