9条連ニュース/137号 巻頭言
もろさわ ようこ 徴兵はいのち賭けても阻むべし 母 祖母 おみな 牢に満つとも (石井百代) この歌が朝日歌壇に載ったのは、たしか1980年、衆参同時選挙で自民党が圧勝、靖国神社国営化や憲法改定などの動きが、さらにあらわになった頃だった。 反戦を言う人たちを牢につなぎ、あるいは死刑に処して行われた戦争を、阻(はば)めなかった悔恨つらく胸に疼(うず)かせている老女の、止むにやまれぬ思いのほとばしりに、私はこころ熱く共感した。 同じの年の12月、「戦争への道を許さない女たちの集会」が、東京・渋谷の山手教会で開かれた。会場に溢れた1300人は、「戦争の放棄」を誓った「憲法9条」が、なしくずしに踏みにじられてゆく危機感いたたまれず、互いに誘い合わせ、自発的に集まってきた女たちがほとんどだった。 その翌々日である。来る年の正月特別テレビ番組『昭和万葉集』のコメンテーターを依頼されていた私のもとに、民放局の男性スタッフ二人が、あたふたと訪れた。 「戦争で殺されることは拒否するが、平和の創造には命を賭けたい」と女たちの集会で私が発言した新聞記事が、障りになったのだと言う。 スポンサーの意向に添わないと生活できないのでと、スタッフはこもごも言った。軍部の意向に従わないと生活できなかったのでと、戦意高揚にたずさわった文化人たちが、敗戦後、みすぼらしく言い訳していた。 戦中彼らの説く言葉を素直に信じ、私は軍国少女になっている。同じ世代の男たちおおかたは、特攻隊で死んでいる。 「憲法9条」は、戦争によって無惨に殺されていった人たちの血で贖(あがな)った人類の道しるべ。「戦争を頷(うなず)いてテレビに出演するよりも、戦争を頷かず、出演拒否されるならば、そのことを光栄とする」と言い、私は番組から下りた。 そのときから四分の一世紀過ぎた今、実質軍隊の自衛隊が海外派兵され、有事と言い替えた戦時立法も成立、戦争への道はさらに大きく開かれ、「憲法9条」はまさに死に体の逆境。 だからこそと、その逆境からのよみがえりを志し、全国各地に草の根次元で様々な9条関係の会の立ち上がりがあり、「9条」改定反対過半数の世論もある。 まだ間にあう! 状況好転のきざしもあり、まだ間にあう!一人一人がその生き方と人間関係において、隣近所に「9条」を根付かせて行くとき、さざなみの様な動きが津波に転化するはず。各地各種の9条の取り組みは、そのキーパーソン的存在。 私もまた「9条」に寄り添っていまを生ききりたい。 (「歴史を拓くはじめの家」世話人)
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9条連ブックレット
「新聞報道に見る 沖縄の 米軍基地と住民」 「戦争のないもうひとつの 世界は可能か」 平和のために −伊藤成彦講演から 「平和を育てよう」 −藤井治夫講演から 「第九条が輝く21世紀を」
「憲法9条ー護憲か廃憲か」 平和のために軍備と戦争の 構造を学ぶ 「世界を見つめる」
9条連グッズ
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